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市民権及び参政権
―――拷問及び拘束問題
2002/38決議案に基づきティオ・ファン・ボブン「拷問」監査専門員に提出された報告
国連“拷問”監査専門員は、報告で下記の法輪功学習者の案件を引き続き受け取ったことを述べた(文中敬称略)。
294、2001年11月20日、フランスの法輪功学習者ヘレンナ・パティトは、北京の天安門広場で、他の法輪功学習者と一緒に平和的な請願をしていたところ、中国の警官に乱暴に扱われた。彼女は二人の警官に両腕を掴まえられると、パトカーまで引き摺られ、強引に中に押し込まれた。その際、脚が何度もパトカーのドアにぶつかって、打ち身によるうっ血を起こしてしまった。パトカーの中では、彼女が動けないように、警官の一人が、彼女の首を座席のひじ掛けに押し付け、彼女のハンドバックのベルトで締め付けた。派出所に着くと、彼女は階段から突き落とされた上、陰部に触ろうとする警官もいた。
295、賀志紅、女性、2001年7月3日、大慶市薩区の警官に逮捕され、大慶市富強派出所に監禁された。そこで、警官に殴られたり蹴られたりしたので、顔と腕があざだらけになった。2001年7月4日、大慶市留置場に移された。そこで大慶市派出所と薩区の警官は、彼女を鉄の椅子に縛り付け、6日間も眠らせなかった。彼女は、断食でもって抗議をしたが、強引に食物注入をされた。彼女の身体が極めて弱っているにもかかわらず、労働教養に処せられ、黒龍江省ハルビン市戒毒所(麻薬治療施設)に監禁された。2001年10月、再び断食で抗議した時、強制食物注入をされた。
296、唐増葉、女性、2001年7月3日、法輪功を修煉するため、逮捕され大慶市留置場に監禁された。そこで、殴打され、丸一日吊るされた後、鉄の椅子に縛られ4日間座ったままであった。彼女が断食で抗議した時、強引に食物注入をされた。2001年7月10日、一人の医者は、食物注入用の管を、彼女の鼻に20数回も挿入し引き抜いた。7月12日、再び強引に食物注入され、牢屋に引きずり込まれた。また無理やり不明の薬物を注射され、身体が極度に衰弱してしまった。病院で応急手当を受けることもなく、黒龍江省ハルビン市戒毒所(麻薬治療施設)に送られた。
297、2001年9月25日、陳玉濤は、吉林市第三留置場、第一留置場にてあわせて9ヶ月以上監禁された後、2年間の労働教養に処せられ、吉林市歓喜嶺強制労働収容所へ移された。収容されると直ぐに、警官らによって高圧電気棒で3時間以上も殴打された。警官に指図された囚人により、殴打され、食べ物を与えてもらえなかった。
298、2001年8月8日、法輪功学習者王朝暉は、吉林市船営支局に監禁され、殴打された。2日後、永吉県留置所に移された。そこで、断食をもって、受けた虐待と理不尽な監禁に抗議した。2001年8月24日、3年間の労働教養を処せられ、歓喜嶺強制労働収容所に監禁された。そこでは手錠をかけられ、警官にひどく殴打された。一人の警官に押し倒され、肩を長時間に渡り踏み付けられた。そのため、王朝暉氏は2週間も腕を上げることができなかった。王朝暉氏は強制労働収容所の三大隊に監禁された。警官に指図された囚人によって、殴打され苦しめられた。
299、2001年9月12日、法輪功学習者陳愛忠は3年間の労働教養を処され、河北省唐山市第一強制労働収容所に監禁された。9月20日死亡した。彼の姉は霊安室で、傷跡だらけだった彼の死体を見た。また、実弟の陳愛力も法輪功学習者で、唐山市翼東刑務所に監禁されている。2001年1月8日、骨と皮ばかりに痩せ衰え、呆然とした表情をしているところが確認されている。
300、趙明、アイルランドに留学している法輪功学習者で、2000年5月北京で逮捕され、北京市団河強制労働収容所に監禁された。いかなる法的手続きもなく、22ヶ月も不法監禁された。強制労働収容所で断食して抗議したが、強引に食物注入された。強制労働収容所に来て最初の一ヶ月の間、椅子に縛られ、頭と脚を集中的に殴られ蹴られた。また、“軍蹲”(長時間しゃがんだままで、動いてはならない)と“開飛機”(頭を下げ、背中と手の甲を壁に向かわせる)といった体罰を加えられた。釈放の2週間前、5人の警官は彼を木の板に縛り、数本の高圧電気棒で同時に電撃をした。2002年3月12日に釈放された。
301、黒龍江省ハルビン市万家強制労働収容所には数千名の法輪功学習者が監禁されている。学習者達は、長時間作業を強いられ、断食で不法監禁と虐待に抗議すると、強引に食物注入をされた。また、強引に身体を衰弱させる薬物を注射され、眠らせず、あるいは、湿気のひどいむしろか床板の上で寝るしかなかった。冬の夜は温度が-10℃~-20℃だが、薄い服しか着せない。さらに警官は牢屋のドア、窓を全部開けた。学習者達の身体は傷跡だらけで、すでに化膿して腐っているところもある。長期に2平方メートルの大きさの独房に監禁され、その中で殴打された。家族との面会は許されず、学習者同士の雑談も許されず、風呂にも入らせず、洗濯もしてはいけない。他に、学習者が長時間鉄の椅子に縛られ、強姦され、ひどく殴打され、高圧電気棒で電撃されたなどの情報も、監査専門員側に寄せられてきた。
302、監査専門員は、特に以下の[拷問により死に至った]案件に関する情報も受け取った。
303、張玉蘭、女性、1999年10月ハルビン万家強制労働収容所に監禁され、2001年6月15日に死亡した。彼女の家族は6月23日になって初めて、彼女の遺体を見ることができた。彼女の首に深く締め付けられた跡が残されていた。
304、李秀琴、女性、1999年12月26日よりハルビン万家強制労働収容所に監禁された。2001年4月2日から受けた虐待に抗議するため、断食を始めた。25日間の断食の間、警官に強引に16回も食物注入され、腐った牛乳なども注入された。強制労働収容所の病院の院長は、何度も髪の毛を掴んでは平手打ちをし、脚で蹴った。2001年6月18日、彼女は独房に入れられると、一人の警官が両手を後ろにまわして手錠をかけ、空中に吊りさげて、ひどく殴打した。連続して40時間も吊るされた後死亡した。強制労働収容所は、家族にも知らせずに死体を火葬した。家族は骨壺のみを受け取った。
305、邵影、女性、2000年万家強制労働収容所に監禁された。2001年4月3日より、彼女は不法監禁と虐待に抗議するため、断食を始めた。強制労働収容所の病院の所長は何度も彼女をひどく殴ったり、蹴ったりした。特に頭と胸を集中的に殴打された。一人の医者は、食物注入の管を彼女の鼻から胃まで4回も挿入したり出したりして、彼女を苦しめた。2001年6月20日、警官に40時間も吊るされた後、死亡した。
306、何苗、女性、2001年7月、鄭偉国と一緒にハルビン公安局に逮捕された。報告によると、鄭偉国は公安局ビル12階の窓から突き落とされ死亡した。何苗は、その後、万家強制労働収容所に送り届けられ、そこで断食で抗議をした。警官にひどく殴打され、独房に入れられた。2001年10月29日、教養所の一人の医師は、警官に協力させて、彼女へ強引に食物注入をした。髪の毛を引っ張られ、平手打ちをしたり、殴ったり蹴ったりされた。2001年11月1日、再び食物注入をされ、ひどく殴打された。断食して30日目になった2001年11月20日、一人の警官は一人の囚人と共に、彼女を警察の事務室まで引き摺って行き、暖房の管に手錠を掛け、蹴ったり殴ったり、平手打ちをした。
307、高淑彦、女性、2001年4月2日、万家強制労働収容所の独房に監禁され、一人の警官にひどく殴打された。虐待に抗議するため、彼女は翌日より断食を始めた。 2001年4月6日、強引に食物注入をされた。4月16日、強制労働収容所の病院に強引に送られ、強引に注射された。
308、郭明霞、女性、留置場と強制労働収容所に監禁された間、合わせて10数回も断食し、警官と他の囚人にひどく殴打された。2001年10月24日、万家強制労働収容所の病院の院長に、平手打ちにされた。また強引に注射され独房に監禁された。2001年11月7日、教養所の医師は、彼女の髪の毛を一束引き抜いた。さらに、50日間に渡り食物注入され、40日目からは、吐血するようになった。2001年12月6日、彼女は他の4人の断食している法輪功学習者と一緒に、強制労働収容所の病院に送られたが、そこの医師らも学習者たちを、蹴ったり殴ったり、強引に食物注入をした。他の4人の学習者の氏名は、郝秀芝、丁彦紅、何苗、尚秀霞である。
309、郭紅宇、女性、2001年5月4日、万家強制労働収容所の数人の警官、教養所の病院の院長及び教養所十二大隊長に、鉄の椅子に縛られ、強引に食物注入の管を挿し込まれた。鼻腔、食道が乱暴に傷つけられたため、大量の血が噴き出した。食物注入された後、鉄の椅子に縛られ、体罰を加え続けられた。
310、譚桂珍、女性、2001年5月1日にハルビン万家強制労働収容所の独房に監禁され、鉄の椅子に縛られた。虐待に抗議するため断食を始めた。2001年5月4日、警官に強引に食物注入された。警官はわざと、食物注入用の管を差し込んだり、引き抜いたりして彼女を苦しめた。
311、郝秀芝、女性、2001年10月ハルビン万家強制労働収容所で不法監禁に抗議し、断食をし、無罪釈放を求めた。断食して9日目、病院に送られ、強引に注射され、食物注入をされた。毎日注入されたのは、少量のトウモロコシの粉と冷たい水だった。食物注入の時期が長いので、鼻と口に傷ができてしまい、食物注入のたびに、鼻と口から血が出てきた。その間、看護婦は彼女の髪の毛を引き抜いたり、顔、身体をつねったりした。彼女は体中が傷だらけになり、黒紫色に変色した。
312、尚玉秋、2001年10月ハルビン万家強制労働収容所で不法監禁に抗議し、断食をし、無罪釈放を求めた。11月20日、食物注入を拒否したため、一人の男性の医師(名字が孫である)に髪の毛を掴まえられて、頭を壁にぶつけられた。そのため、意識が薄れ、頭には卵大のこぶができた。二人の男性の医師に廊下へと引き摺られ、鼻血が出るまで殴打されたこともある。
313、呉激揚、女性、34歳、2001年1月24日、ハルビン万家強制労働収容所で不法監禁と虐待に抗議し、断食を始めた。警官は、彼女の身体が弱いにもかかわらず、彼女を牢屋のドアに手錠をかけてそのままにした。身体が弱い上に体罰を加えられたため、虚脱状態に陥り、呼吸が荒くなり、身体のバランスが崩れ、体重が手首にかかって来た。手首は手錠のために血が出てしまった。断食して6日目、彼女はまた鉄の椅子に縛られ、強引に食物注入をされた。
314、劉鳳珍、謝金賢、楊慧玲、宋玉素、吳淑蓮、曹連弟、呉新如など約60名の女性法輪功学習者は、2001年5月24日、ハルビン万家強制労働収容所で、強引に男性の労働教養大隊に入れられ、苦しめられた。学習者達は、吊るされ、ひどく殴打され、高圧電気棒で電撃され、24時間も不動に立たされ、独房に入れられ、鉄の椅子に座らせられ、眠らせず、風呂に入らせず、着替えも許さなかった。警官と囚人に輪姦された学習者が何人もいた。宋玉素は、水の中に押し込まれた;呉淑蓮は、水をかけられた後、電撃された;曹連弟は、吊るされて意識不明になった;謝金賢、呉新如、×淑栄は吊るされ、殴打をされた;楊慧玲は吊るされ、腕が脱臼した;劉鳳珍、謝金賢は5~6日間も縛られたまま吊るされ、体罰を加えられ続け、女子十二大隊長・張波にひどく殴打された。
315、劉冬雲、女性、33歳で、2001年1月24日、ハルビン万家強制労働収容所で、警官に髪の毛を掴まえられて、倒された。男性の警官が押し寄せて来て、殴ったり蹴ったりし、独房に引き摺って行くと、長時間動かずに立たせる体罰を加えた。 その後、髪の毛を一束一束抜かれた。拷問に抗議し、30日間断食して、2001年5月10日釈放された。
316、雷川清、女性、54歳、法輪功の修煉を堅持するため、男性の警官に殴打された。傷だらけになるまで殴られ、その後の1ヶ月間は、自由に動くことができなかった。2001年6月18日、二人の男性の警官は一緒に、彼女(胸の肋軟骨に向けて)を蹴ったり殴ったりし、彼らの前でズボンを脱ぐよう強いた。
317、王桂華、女性、2001年12月に法輪功のため北京に陳情に行った。2002年1月21日に、1年の労働教養を処せられ、万家強制労働収容所に送り届けた。万家強制労働収容所で煉功したために、ひどく殴打された。
318、李蘭、女性、独房に7ヶ月以上も監禁された。その間、長時間にわたって椅子に縛られた。抗議のため、断食した。2001年11月16日、二人の警官は、彼女の口をテープで留めてからひどく殴った。一緒に監禁されていた呂適平(女性)も同じく苦しめられた。翌日、平手打ちされ、口に汚い靴下を詰め込まれた。
319、丁燕紅、女性、2001年11月2日、同じ牢屋の法輪功学習者と話したため、警官にひどく殴打された。翌日、他の2人の警官にも殴られた。2001年11月6日、警官に竹箒で殴られた。
320、潘宣華、女性、2000年4月26日、ハルビン万家強制労働収容所で、6人の警官に殴打され、鉄の椅子に3時間も無理やり座らせられた。虐待に抗議するため、17日間も断食した。その間、7日間、鉄の椅子に座らせられ、その後、45日間も独房に監禁された。独房で毎日手錠をかけられ、法輪功を誹謗する録音を強引に聞かされた。2001年1月24日、殴打され、倒され、髪の毛と腕を掴まえられて、独房に引き摺られた。いつも鉄の椅子に座らされ、警官に拳と高圧電気棒で殴られた。
321、郭偉、2000年3月、法輪功を修煉したため豊台留置場に監禁された。留置場で警官が尋問し、殴打した。25人の囚人と一緒に監禁された。囚人は彼を蹴ったり殴ったりし、また服を脱がせ、氷水をゆっくりと頭から足までかけた。そのため頭部は無感覚になった。
322、多くの法輪功学習者が、河北省石家荘市強制労働収容所に監禁されている。2001年の間、強制労働収容所は、囚人をそそのかしては、木棒、高圧電気棒、縄などを使って、法輪功学習者を殴らせた。学習者を長時間にわたり鉄の管に手錠をかけ、脚の先しか床に届かないようにする;手の爪に針を差し込む;ハンマーで手の指を打つ;眠らせない;長時間にわたって一つの苦しい姿勢を保たせ、強制洗脳をする。2001年6月の2週間、強制労働収容所側の学習者に対する迫害はさらにエスカレートした。多くの法輪功学習者(陶洪昇、劉栄秀、劉書松、趙豊年、丁剛子)は、迫害され死亡した。
323、多くの法輪功学習者が、遼寧省瀋陽市馬三家強制労働収容所に監禁されている。彼らは毎日15時間もの作業に強制従事させられている;一つの姿勢を長時間維持するよう強いられる (例えば、頭を下げて腰をかがめる、後ろ向きで壁に寄りかかってまっすぐ立つ、30cm角の狭い所にしゃがませる、中腰になって両腕を前へまっすぐ伸ばす);殴られる;高圧電気棒で電撃される;2.4m×0.9mの狭い個室に閉じ込められ、手錠でドアに固定され、1~2週間もその状態を続けさせる;眠らせない。また何人かの学習者は、4時間以上も四肢を別々に縛られ、吊されたりなどした。
324、国連監査専門員は、特別に以下の[馬三家強制労働収容所における]一部の案件を提出した。
325、2000年8月2日、蔣玉青、女性、独房に連行され大量吐血したままで、5時間も刑罰を加えられ、残酷な拷問を続けられた。その後、食事ができなくなり歩くこともできなくなった。身体は傷だらけで、肌が黒紫色に変色し、五臓六腑には激痛が起こり、血便が一ヶ月以上も続いた。警官は、暴行を隠すために治療を受けさせず、事務室のベッドに縛り付け、薬を強引に注入した。彼女は気絶するほど苦しめられた。
326、于素珍、女性、刑務所でひどく殴られた。髪の毛を掴まえられ、平手打ちされた。2000年8月7日、他の7人の2号室に監禁された法輪功学習者と一緒に、警官の寮に監禁され、裏で刑罰を加えられた。2000年9月13日、二人の警官は高圧電気で、彼女を意識不明になるまで殴った。
327、齊振栄、女性、41歳、は服を全部脱がされ、その後、高圧電気棒で電撃され殴られた。2001年9月“130名の法輪功学習者が監禁期限延期に抗議する”断食抗議に参加し、40日に渡って断食し、危篤に陥ってしまった。馬三家強制労働収容所の病院に送り届けられたが、そこでも引き続き残虐悲道な迫害を受けている。
329、2002年10月10日、国連“拷問”監査専門員と人権保護特別代表は連携で、李群(女性)の情報を受け取っていることを中国政府に知らせた。李群は、2000年3月13日南京市政府の“陳情受付”宛に法輪功学習者の煉功の権利を尊重することを求める手紙を送ったため、南京精神病院に入れられ、強引に食物注入され、脳に害のある精神薬物を強引に注射された。
緊急呼びかけ
331、2002年1月24日、国連“拷問”監査専門員と“女性への暴力虐待” 監査専門員、“言論自由” 監査専門員、国連“不法監禁”工作委員会主席は連携で、カナダの法輪功学習者・コニー・チプカー のために、緊急の呼びかけを行った。彼女は、2002年1月23日に北京天安門広場で逮捕された。その日は、“法輪功”と“緊急援助”と書かれたたすきを身に付け、煉功をしていた。
332、2002年2月5日、国連の“拷問”監査専門員と“宗教信仰自由”監察専門員は連携で、遼寧省葫芦島市出身の60歳の法輪功学習者・韋彦江のため、緊急の呼びかけを行った。韋彦江は2001年12月22日に天安門で逮捕され、北京順義派出所で上着を脱がされ、寒い冬にただ1枚のシャツのまま、両手を後手にして手錠をはめて立たされた。25日に葫芦島市竜港公安支局に移され、そこで不法に監禁された。不法な監禁に抗議するため、水も飲まず断食することにした。断食、断水が18日目に入り、瀕死状態に陥っているにもかかわらず、警官は家族に知らせないどころか、彼女を馬三家強制労働収容所に送り届けた。
333、(略)
335、2002年2月8日、監査専門員と“不法致死” 監査専門員、国連“不法監禁”工作委員会主席は連携で、河北省張家口市大唐湾刑務所に2年も服役した陳運川のために緊急の呼びかけを行った。彼の妻王連英(女性、61歳)は、2001年1月より行方不明になっている。娘の陳洪平は、2001年6月11日に河北省保定市高陽強制労働収容所に監禁され、2003年3月5日に迫害により死亡した;息子の陳愛忠は、2001年初に不法に3年間の労働教養に処せられ、2001年9月12日唐山市第一強制労働収容所(唐山市荷花坑強制労働収容所)に監禁され、2001年9月20日に迫害により死亡した(遺体は傷だらけだった)。もう一人の息子の陳愛立も、2001年8月28日不法に2年間の刑罰を言い渡され、河北省唐山冀東刑務所5支隊7中隊に監禁され、その間無理やり注入された神経系薬物により、顔色が青く、免疫力が衰えた。
336、(略)
338、2002年4月11日、国連“拷問” 監査専門員と“宗教信仰自由” 監査専門員は連携で、梁振興(男性)、劉成軍、周潤君 (女性)、雷明 (男性) 、趙健、雲慶彬、陳艶梅のために、緊急な呼びかけを行った。彼らは2002年3月5日長春市のケーブルテレビネットの8つのチャンネルで、法輪功の真相を伝えるドキュメンタリーを放映し、中国政府の法輪功を迫害する犯罪を暴露したため、逮捕され監禁された。当地の警官は他に15名のドキュメントリー放映事件に関わった学習者を逮捕したと称した。長春強制労働収容所の一人の役人は、ドキュメントリー放映事件以来、すでに100人~200人が逮捕され、労働教養に送られる予定だと述べた。
339、(略)
344、2002年7月9日、国連“拷問”監査専門員は国連“不法監禁”工作委員会主席は連携で、四川省重慶市の渝北区の法輪功学習者・王愛華のために、緊急の呼びかけを行った。彼女は2002年3月6日警官によって渝北両路派出所に連行された。派出所で脅迫され、苦しめられた。腕が極度にねじられ、上げることができなくなった。当日の午後渝北留置場に移された。留置場で、さらなる虐待を受け、全身が腫れてきた。
345、(略)
350、2002年12月2日、国連“拷問”監査専門員は、羅容と彼女の姉である羅真のために緊急の呼びかけを行った。羅容(女性)は、中国籍で日本に永住している学習者である。2002年5月24日、北京を観光している最中、法輪功のチラシを配ったため、北京海澱支局に不法に逮捕された。監禁されている間、残忍悲道な迫害を受けてきた。その後、血圧が220まで上がったため、北京市公安病院に送られたが、病状は深刻である。腰に傷跡があり、やせ細ってきた。姉の羅真はただ、羅容の夫に、羅容の身体の状況を知らせたため、2002年11月5日、黒龍江省牡丹江市の家で警官に連行され、今なお行方不明である。
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