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民事並びに政治権利
―――拷問及び拘束の問題
Nigel Rodley特派員が、人権委員会の2000/43*決議案に基づいて提出した報告
拷問監察要員は、拷問監察委員会に、中国当局が法輪功を含めた数多くの気功団体への残酷な弾圧を実施しているという大量の情報が寄せられたため、すでにこのことを中国政府に告知した。拷問監察要員が提供した情報によると、法輪功学習者はその信仰を放棄させられ、また公然と侮辱され、さらに異なる期限の監禁をされた。多くの学習者はいかなる法的な手続きもされないまま労働教養所に送られ、長いものは3年間の労働教養をされた。また一部の学習者は、精神病院に監禁されて連続数週間もの薬物注射をされていた。その他数多くの学習者は残酷な体刑に苦しめられ虐待されている。拷問監察要員は以下の詳細な実例を提供した。
246. (略)
1. 1999年10月25日、浙江省海蘭県の項進英さんとその他三名の法輪功学習者は、天安門広場に法輪功の真相を伝えに行ったが、逮捕された。広場付近の派出所に連行されたが、そこにはすでに50~60名の法輪功学習者が閉じ込められていた。警官は12名の学習者をつらい姿勢にさせ手錠をはめていた:片手を上から後ろに引っ張り、もう片手を下から後ろに引っ張って、両手をぐいと引っ張って後ろで手錠をかける。また、土下座をさせ、頭を壁に当てられていた。項進英さんもこのようにして苦しめられ、腕が折れた。10月26日、医師は彼女が法輪功学習者であるため治療を拒んだ。10月27日になり病院に運ばれた。
2. 1999年9月22日に、河北省唐山市の劉菊華さんと楊雪真さんは、警官が法輪功書籍を奪い取ろうとしたことを拒んだため北京で、逮捕された。北京清河看守所に閉じ込められ、そこで後ろ手に縛られ、さらに両足も一緒に縛られていた。警官はタバコの火を手の甲に当てたりし、彼女たちを眠らせなかった。その後唐山市開平看守所に移されたが、そこで監禁されていた一人の学習者と一緒に電撃され、太い棒で滅多打ちにされた。
3. 1999年8月30日に大連市の張暁紅さんは逮捕され、留置所に15日間に渡って監禁されていた。9月9日に彼女は法輪功の煉功を許可するように留置所側に要望したが、拒まれた。その日の夜、もう一人の学習者と背中合わせに手枷と足枷をはめられた。また二人は床に座らされ、眠ることもトイレに行くこともご飯を食べることも許されなかった。9月10日に彼女たちを眠らせないため、警官は二人別々に新種の手枷(少しでも動くと、手枷が自動的にきつくなる)をかけた。9月14日になってから手枷をはずされ、翌日釈放された。
4. 1999年8月30日に大連市の尹興琴さんは逮捕され、大連看守所に閉じ込められた。2000年9月8日、21時間も鉄格子に手錠をかけられていた。9月9日には、もう一人の学習者と背中合わせに手錠をかけられた。翌日、二人は別々に後ろ手に手枷をかけられ、9月14日強制労働に就くまで続いた。しかし、その日の夜、再び後ろ手に手枷をかけられた。翌日の9月15日に釈放された。
5. 1999年8月30日、大連市の楊秀娟さんは、大連市看守所に監禁されていたが、鉄格子に手錠をかけられていた。9月8日、両足に非常に重い錆びた鉄の足枷(「地牢」という名称の刑具)をかけられ、そして早足で歩かされた。この刑具を使用すると、刃のような鉄片が足を絶えず傷つけるようになる。また6日間も食事を与えられなかった。
6. 1999年8月30日、大連理工大学人文社科系助教授の朱航さんは、公園で法輪功の煉功をしたため逮捕され、南関嶺の大連姚家看守所に閉じ込められた。彼女は手足を鉄製チェーン、高さの6メートル、幅の4.5メートルもの非常に重い鉄の枠(いわゆる「地牢」である)にかけられた。断食による抗議を行った7日目に、看守が強制的に食物を摂取させようとして、鼻から食物を注ぎ込んだため、彼女の口腔は重傷を負った。また、一人の看守が強引に鼻から一本のゴム管を挿入したため、彼女は失神してしまい、第二人民病院まで運ばれ、救急手当を受けていた。その後、政府は看守所で行われていた犯罪を覆い隠すために、彼女を精神病院に閉じ込めた。
7. 2000年9月3日に張春清さんと彼女の孫娘は逮捕され、大連南関嶺の大連姚家看守所に15日間閉じ込められていた。9月5日に張春清さんは法輪功の煉功をしたため殴打され、看守は彼女の顔と手を滅多打ちした。「地牢」の刑具をかけられて、600メートルも歩かされた。刑具はとても重く、ほんの少しずつしか歩めず、40分もかかって牢屋に戻った。トイレに行く時も、刑具をかけたままで行かなければならなかった。9月9日に再び殴打され、他の3名の学習者と一緒に「地牢」の刑具をかけられた。また、36名の学習者は、一種の自動的にきつくなる手枷を窓の鉄格子にかけられ、トイレに行くことも、動くこともできなかった(動くと、手枷は自動的にきつくなり、肉に食い込むケースが度々発生する)。9月10日、30名余りの学習者が、一緒に法輪功の書籍を暗誦したが、5、6名の看守と減刑をされたい犯人によって、滅多打ちされた。その日の夜、これらの学習者を二人一組にして、背中合わせに手枷をかけた。話すことも、動くことも許されなかった。9月11日夜、手枷を外されたが、学習者らの両手は腫れ上がっており、水泡と傷だらけになっていた。
8. 呂淑珍さん、法輪功創始者である李洪志先生の71歳の母親である。2000年7月20日以来ずっと北京の家に軟禁されていた。軟禁生活は彼女の心臓病を重くし、視力を減退させ、足が腫れ上がり、歩くことも非常に困難となった。にもかかわらず警察は医療手当て、食料と水の提供を拒んだ。
9. 2000年4月25日、山東省膠州市の徐衍忠さんは、法輪功の煉功をしたために逮捕され、膠州精神病院に監禁されていた。その後連続10日間、縛られ強制的に薬物を注射された。心身共に苦しみを受けていた。薬物注射により、全身がだるく、目も開けられず、いつも緊張するようになり、しかも気落ちするようになった。
10. 山東省膠州市の法輪功学習者である匡本翠さんは、天安門広場で逮捕され、膠州市駐北京事務所に閉じ込められた。その後膠州精神病院に監禁され、強制的に薬物を注射された。断食により抗議した際、二人の男に腕を掴まれ、さらに鼻を掴まれ、一本の箸で口をこじ開けられ、強制的に食物を押し込まれた。また、強制的に一日三回ほど薬を飲まされ、薬の量は1回1錠から6錠にまで増やされた。
11. 1999年9月12日に譚桂華さんは、職場の者と当地の政治法律委員によって連れ去られ、当地の精神病院に閉じ込められた。そこで強制的に薬物注射をされたため、目が眩むようになり、気分も悪くなり、動悸がし、結局失神してしまった。また、7回も電撃された。強制的な注射をされた後、生理がとまり、目には生気がなくなり、反応も鈍くなった。数日後、新種の薬物を注射されが、その後20日間に渡って、彼女の体は激しく震えていた。釈放されたときには、記憶力が喪失し、話すことも困難となり、目には生気がなくなり、反応も鈍くなっていた。
12. 1999年11月15日に、広西省北海中級人民裁判所民事法廷の裁判官である黄錦春さんは、広西柳州龍潛山精神病院に監禁されていた。3ヶ月以上に渡り家族との面会も禁止された。煉功を堅持したため、強制的に鎮静剤を注射された。
13. 1999年9月27日、石対頭于家の王風蘭さん、小賈家の馬玉鳳さん、河崖村の戦克雲さんと王好紅さん、及び山東省招遠市の趙金華さんは、張星鎮の警察に逮捕され、当地の看守所に閉じ込められた。法輪功の本への中傷を拒否したため、警官によって苦しめられていた。1999年10月1日に、牢屋で煉功をはじめたとたん、数人の看守が牢屋に飛び込んで来て、ゴム棒で殴打した。一人の看守が木棒で王風蘭さんを殴打し、電話線で縛り上げて電撃を行ったため、失神した。
14. 1999年12月22日に江西省法輪功学習者である劉姐さんは、天安門広場で煉功した際逮捕され、12月24日まで天安門派出所に監禁されていた。監禁期間中に尋問され、拷問されていた。足の裏側は酷い損傷を受け、紫黒色となった。
15. 1999年12月26日、程風栄さんと他の四名の法輪功学習者は、四名の法輪功学習者に判決を下す裁判を傍聴しようとしたため逮捕された。北京順義県の泥河看守所に閉じ込められた。程風栄さんは半分しゃがむ姿勢を強要され、少しでも姿勢を崩すと直ちに殴打された。看守にたらい二杯の冷水をかけられたが、水は彼女の足下で凍っていた。その後警官らは箒を使い殴打した。
16. 江蘇省の法輪功学習者である高玉蘭さんは、法輪功の煉功をしているという理由により、1999年12月31日朝5時頃自宅から連れ去られた。一人の警官が髪の毛を掴んで、顔を殴ったり、蹴ったり、顔を水の中に漬けたりした。16日間に渡り監禁されていた。
17. 1999年11月19日、陳凌梅さんは北京天安門広場で逮捕された後、河北省涿州市公安局に送られた。監禁されていた期間中数回尋問されていた。その後、他の三名の法輪功学習者臧翠清さん、常恒春さん、刑俊花さんと共に、洗脳センターに送られた。そこで法輪功を放棄する声明に署名しなかったため、全身を数時間に渡って電撃された。また30センチの木棒で、警官によって顔を滅多打ちにされ、足を蹴られた。
18. 白莉莉さんは1999年10月25日に逮捕され、北京東城看守所に監禁されていた。看守によって服を脱され、本を没収された。また、看守は彼女の腕を強く引っ張り、髪の毛も強く掴んだ。翌日、看守に手足を一緒に縛られ殴打された。
19. 1999年9月24日、遼寧省鞍山市の法輪功責任者である王偉さん、胡素之さんと寧桂英さんは自宅で逮捕され、その後鞍山市明山看守所に監禁されていた。法輪功修煉を放棄しなかったため、手枷でスチーム管に吊り下げられ一昼夜に渡って滅多打ちにされた。
20. 1999年9月19日、新疆ウイグル族自治区ウルムチ市の法輪功学習者である陳雅君(音)さんは、吉林省と陝西省から来た15名の法輪功学習者と共に、北京のアパートで逮捕された。9月20日朝、北京市公安局朝陽支局に閉じ込められた。陳雅君さんは9月24日までずっと後ろ手に縛られていた。13~14時間に渡り立たされ、休憩もトイレも許されなかった。またその間、一人の朝陽支局の職員に侮辱されていた。9月25日三人の警官は、彼女を横にさせ口をこじ開け、強引に一本のゴム管を鼻から挿入し、食物を注ぎ込んだ。
21. 1999年9月9日、黄秀玲さんは逮捕され天安門派出所に閉じ込められた。馬駒橋郷派出所に移された後、喬荘看守所に監禁されていた。そこの看守は犯人らをそそのかして、法輪功書籍を奪うよう指図し、また彼女を滅多打ちした。犯人らは彼女の腕と足を強く引っ張り、服を剥ぎ取って殴打した。翌日彼女は煉功をしたため電撃を受けていた。その後手枷と足枷をかけられて、別の牢屋に閉じ込められ、そこで再び電撃されていた。看守は彼女を拷問し、同じ牢屋に監禁されていた他の法輪功学習者を脅かした。
22. 1999年9月7日、張錫紅さんと晉剛さんの二人の女性学習者を含め、9日間の断食を続けていた北京昌平七裡渠看守所の60名あまりの法輪功学習者は、毎日2~3時間の尋問を受け、侮辱と滅多打ちを受けていた。9月10日、看守は彼らを3時間に渡って厳しい日差しに晒した。張席虹さんは10日間の断食をした。彼女は手と足を一緒に縛られていたため、動くと頭がほとんど床に接するようになっていた。9名ほどの学習者は看守所で煉功した、あるいは煉功した疑いがあるということで手枷をかけられていた。看守は皮のベルト、鉄線、ドライバなどを利用して学習者を苦しめた。また学習者の腰を90度に曲げさせて手を頭の上方に持ち上げさせて、長時間その状態を維持させた。この拷問で数多くの学習者がほとんど失神した。晉剛さんは断食の7日目に二度に渡り滅多打ちにされていた。
23. 1999年7月22日、王燕(音)さんは山海関市で警察に逮捕され、翌日錦州に送られた。その後吉林省遼遠市撫鎮派出所に閉じ込められた。法輪功を放棄する保証書に署名することを拒んだため侮辱と殴打を受けた。
24. 四川省重慶市税務学校の顧志儀さんは1999年7月19日に逮捕された。監獄で「虎の椅子」(ベルトで両足を虎の椅子に縛り、そしてベルトが切れるまで、足首を徐々に上げていく。)を含め24種もの拷問を経験した。指先の爪の間を鋭く尖った竹串で突き刺され、電気椅子に座らされ、頭部と肛門を電撃された。
25. 2000年1月1日、張雪鳳さん、劉喜栄さんと李菊花さんは、小転山村で大秦鎮政府の二人の官員に連れ去られた。村政府と県政府に別けられ、木棒で殴打された。
26. 1999年10月1日まで、許姓を名乗る女性法輪功学習者を含め、少なくても300名余りの学習者が、法輪功を放棄する保証書への署名を拒否したため、吉林省長春市八裡堡監獄に閉じ込められていた。これらの学習者はそこで各種の拷問を受けており、たとえばタバコの火を学習者の体に当てたり、木棒が折れるまで学習者を殴打したりしていた。許女史は吊るし上げられて滅多打ちされたため、背中に酷い重傷を負った。
27. 1999年12月1日、米国市民である鄒志敏(英文の名前はジミーである)は、法輪功学習者ということにより北京天安門広場で逮捕され、天安門派出所に閉じ込められた。三人の警察は、彼の目、肩、腕、足を殴打した。また、手枷をかけられ、腰を電気棒で電撃された。その後、安徽省駐北京事務所に送られ、他の約30名の法輪功学習者と共に、ひとつの部屋に閉じ込められていた。強制的に身体検査をされ、二人の警官は彼の顔、胸と腹部を殴打した。また一人の警官は木棒で彼の足を殴った。四日目、彼は煉功したため他の二人の修煉者と共に、7名の警官によって牢屋から引っ張り出されて殴られた。しかも彼らはひざを曲げたまま壁に向かって立たされていた。
28. 1999年10月21日、14名の清華大学の学生が、学校内で行われていた法輪功修煉体験交流会に参加したため警官に逮捕された。手枷をかけられ、滅多打ちされ、苦しめられていた。
29. (略)
30. 1999年10月3日、江蘇省公安局保健室の丁健華さんは、法輪功修煉を放棄しなかったため、南京脳科病院に閉じ込められ、そこで強制的に精神治療を施された。その結果反応が鈍くなり、朦朧として視力が著しく低下した。
31. 2000年2月末まで、莱陽医科大学の先生、莱陽成人教育の先生、莱陽センター病院の先生と青島から来た一人学習者を含めた20名余りの法輪功学習者は、山東省莱陽市煙台精神快復センターに閉じ込められた。そこで薬を飲まされ、強制的に薬物を注射された。その後、強制的に治療費用を徴収された。
32. 法輪功への弾圧に抗議するため、中央政府に真相を伝えに行った白莉莉さん、徐偉さん、王有群さん、王舒格(音)さんと天宇くん(5歳)、趙群さん、李洪生さん、羅麗娟(音)さん、費夢林さんと鞠玲燕さんは、法輪功の横断幕を掲げたため警官に地面に殴り倒された。そして警官は気が狂ったように彼らの顔を殴り、その後5歳の天宇くんを含む一家五人全員が逮捕された。とりわけ横断幕を掲げた学習者は、警官と私服警官に滅多打ちにされ、しかも天安門派出所に閉じ込められた。山東省臨沂の学習者である趙群さん、許微さんと李鴻申さんは、6名の警官に地面に殴り倒され、パトカーに押し込まれて連行された。100名余りの法輪功学習者は、天安門広場の北東の角で座禅していたが、皆滅多打ちされた。女性学習者は髪の毛を掴まれながら連行された。一人のオーストラリアから来た戴と名乗る学習者は、後ろから警官に三回ほど蹴られ、連行された。山東省臨沂地区の鄭と名乗る学習者は滅多打ちにされ、顔面は血だらけとなった。
33. 劉聞傑(音)さん、王洪彬(音)さん、張朝東(音)さんと三名の女性学習者李群さん、屈秀華さん、劉淑蔵さんは、1999年7月20日の遼寧省大連市で行われた千名余りの法輪功学習者の請願活動に参加した。特に若い男性学習者は警官に滅多打ちにされた。李群さんは髪の毛を掴まれ、他の9名の学習者と共に逮捕された。派出所で数多くの学習者が、滅多打ちにされていた。
34. 山東省広饒県李橋西村の6名の法輪功学習者は、法輪功のために1999年中央政府に陳情したため逮捕された。当地政府は、他の学習者に警告を与えるために、その6名の学習者を街中引き回して見せしめにした。5台のパトカーが先導し、その後ろに反法輪功の横断幕で飾った一台の警察のトラックがついていった。トラックの上には紙で出来た高い帽子を被せられた6名の学習者が乗っており、寒い冬にもかかわらず皆薄着にされていた。
35. 2000年1月8日、四川省隻流県彭家鎮の15名の法輪功学習者は、法輪功のために北京へ陳情に行き逮捕された。地元に強制送還された後、最も賑やかな繁華街を裸足で引き回わされた。
36. 2000年6月19日に北京工商大學講師趙昕さんは、公園で法輪功を煉功したため北京海淀公安局に逮捕された。数日後、家族は「危篤」の通知書をもらった。通知書には、趙昕さんの第4,5,6の頸椎が折れ、頭部に軽傷があり、左目が青紫色に腫れ上がっており、呼吸が極めて困難であると詳細に書かれていた。彼女が海淀病院に運ばれた際、まだ手枷と足枷をかけられたままであった。病院で静脈注射を打たれ、しかも呼吸器で呼吸を維持していた。
37. 1999年9月25日、誠種さんは江蘇省武進市で都市管理人と警官に連れ去られ、精神病センター(廣州102病院)に閉じ込められ、そこで恐喝された。9月28日警察は彼を武進市第三病院(精神病院)に移送した。そこで十数日間連続して薬を飲まされ、警官と医務員に五回ほど電撃された。
38. 1999年10月23日、江蘇省南京市の韓紀珍さんは、法輪功への弾圧に抗議するため北京へ上申に行ったが、天安門広場で逮捕され、その場で殴打された。警官は彼女を地元に強制送還し、南京精神病院(又の名を南京脳科病院とも呼ばれ)に閉じ込めた。そこで強制的に薬物を注射され、薬物を飲まされた。その結果いつも気分が悪くなり、全身が無力となった。
39. 監察要員は、下記の監禁期間中に死亡した法輪功学習者の実例をも中国当局に送った。
40. 1999年12月31日、広東省広州市の法輪功学習者である高献民さんは、広州市天河公園で逮捕され、その後天河区棠下留置所に監禁された。監禁期間中の2000年1月17日、高濃度の食塩水をゴム管により、強制的に鼻から注ぎ込まれたため死亡した。注ぎ込まれた際、全身が縛り付けられ、鼻には濡れたタオルがかけられていた。
41. 1999年10月、劉緒国は法輪功への弾圧に抗議したため逮捕された。彼は3年の労働教養を言い渡され、2000年2月初め山東省済寧労働教養所に送られた。2月5日から断食をはじめ、一週間後に病院へと運ばれた。そこでゴム管により、鼻から無理やり食物を注ぎ込まれたため、気管と肺に数箇所の損傷を負い、2月11日労働教養所で死亡した。
42. 2000年5月12日、ハルビンの法輪功学習者である王秀英さんは、もう一人の学習者と共に北京に行ったため、5月13日に逮捕され、崇文区角門看守所に監禁された。法を勉強すること、煉功すること及び無条件釈放の要求を看守に提出したが拒否された。その後、自分の人権への迫害に抗議するため断食を始めた。看守らは強制的に彼女の口をこじ開けて、高濃度の食塩水を流し込んだ。しかも6回も流し込み、そのうち5回は高濃度の食塩水であったため、深刻な脱水症状に陥って意識不明となった。緊急措置を施さなかったため、5月22日に死亡した。
43. 濰坊市濰城区北關徐家小荘の陳子秀さんは、法輪功のために北京へ陳情に行こうとしたが、濰坊駅で逮捕され、濰城城關街の町内会に拘禁され、強制洗脳をされた。2000年2月21日、彼女の遺体が私立病院に送られた。遺体には以下の傷痕が残っていた:口に血の跡が残り、歯が折れ、腹部は腫れ上がり、臀部以下はほとんど真っ黒に変色し、両足は酷く腫れ上がっていた。
44. 黒龍江省佳木斯市の法輪功学習である陳英さんは、1999年8月初めに逮捕された。警察は彼女を黒龍江省に強制送還しようとした。黒龍江省行きの電車の中で、警官に侮辱され、殴打され、また恫喝され威圧的に脅かされていた。彼女はこれに耐えられなくなり、疾走する電車から飛び降り死亡した。
299. (略)
321. (略)
322. (略)
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